経験とは

経験があるとか、経験がないといった言葉を良く使うが、果たして、自分は経験を積んできたと、自信を持って言えるだろうか。
経験とは、どれだけ多くのことに疑問を持ち、苦悩し、自分の言葉で答えを見つけだしてきたか、その幅と深さを指す言葉ではないかと思う。そう考えると、特に疑問を持たずに周囲に流されることが多くて、歳相応の経験を積んだとは言いにくいかな。
別に悲観はしてないが、いろんなことに疑問を持ち、自分で考えることで、より良い経験を積んでいければと思う。

杭州と西湖と岳飛

年末年始の休暇を使って中国の杭州へ旅行した。
滞在は一泊なので、時間はそれほど多くない。西湖と霊隠寺を見たが、岳飛の廟は見られなかった。
中国へ来る機会は割と多い方だが、その歴史や文化遺産など、知らないことが多い。
(まあ、日本のものでも知らないことが結構あったりはするが…)
今回の霊隠寺も知らなかったことの一つ。別に信心深いわけではないが、それでもここに来たら手を合わせ、頭を下げたくなった。良い経験をした。
岳飛は中国でも最も有名な武将の一人だが、恥ずかしながら、杭州へ来るまで名前も知らなかった。次回はぜひ廟も見たいと思う。
人と人のコミュニケーションでは、自分の経験や考え方と同じものを相手も持っていて、同じものが見えているとつい思い込んでしまう。だが、実際には、知らないことの方が多いわけで、だから人とのコミュニケーションには楽しさがある。いろんなものを見聞して、人に楽しさを与えられるようになれれば良いと思う。

故郷

魯迅の作品の中に、「もともと地上に道はない。歩いた跡が道になる。」といった一文がある。中学校の国語の授業で学んだものの中で、唯一覚えているといって良い一文だ。
当時は、この言葉の表す思いの大きさと広さに、ただただ、「すげーなー」と感動したものだ。
この言葉を最近になって急に思い出した。
元の作品は暗い内容が多かったと思うが、最近感じたのは別の感想だ。結構な歳になった自分を振り返ったときに、この一文を思い出した。
そして、道ができると信じて「歩かなければいけないな」と改めて思うのだった。

責任感

今日は責任を全うすることについて。
彼は、疲れていた。
大変遺憾ながら、彼の疲労を俺は知ってやることができなかった。
そして今日、ついに彼は力尽きて倒れてしまった。
だが、倒れる直前に、彼は自らが果たすべき責務をきっちりと果たしたのだ。
彼自身が、その責務の重大さを深く理解していたのだろう。
おかげでとても助かった。
彼が早く復活することを強く願う。そしてまた新しい朝を共に迎えよう。
待っているよ、俺たちの目覚まし時計。

CCPM

なんの役に立つか、その時ははっきりと理解できていなくても、何年かたってからふと思い出して、役に立つことがある。

CCPM(Critical Chain Project Management)に興味がわいて、どんな考え方か、何に気を付けるべきか、そもそもこれ何?みたいなところを勉強していたことがある。

仕事に直接関連はしないし、どう生かせばよいかも分かないまま、本やWebで情報を集めていた。で、結局、つまりは段取りをしっかりしなければならないということだ、これは段取りの科学だな、と自分なりの結論をつけてそのままになっていた。どちらかというと、現実的な時間でそんな段取りつけられるわけがないよ、と否定的な印象を持っていた。

だが最近、短期間でスプリントかける、別の手法のことを考えているときにふとCCPMのことを思い出した。長期間なら段取りつけるのが難しくても、短期間なら十分にできる、むしろCCPMは段取りつけられるくらいの短期間でやるとうまく回ることを、遠回しに示唆していたんだなと、今になって思い至った。

ソフトウェア技術者のスキル

コンピュータソフトウェア関連の仕事やってると、単純なプログラミング言語の知識だけでなく、モデリングや文書作成、コミュニケーション能力などのスキルを磨くことを求められる。

誰かに求められるソフトウェアやシステムを作り上げることが仕事なので、そのためには人と人のつながりが重要であり、そこで求められるのはプログラミングだけではない、ということ。これを一言で「人間力」と言っているのかと思うが、この言葉は自分にはよく理解できない。

ただ、ソフトウェアの技術者は、考えたことやアイデアを形にして、誤解なく相手に伝えることのスペシャリストでなければならない、とは思う。